第2章 ニンテンドーゲームキューブとゲームボーイアドバンス

ゲームキューブ誕生と経緯

ニンテンドーゲームキューブ(2001年)

ニンテンドーゲームキューブ(2001年)

90年代前半、家庭用ゲーム市場への新規参入でトップシェアを獲得したSCEは2000年、PSの後継機『Play Station2』を発売。これはプレイステーションとの互換性をもち、当時普及し始めていたDVDプレイヤー機能を搭載したことから、爆発的な人気となった。一方、任天堂は2001年9月14日に、家庭用ゲーム機『ニンテンドーゲームキューブ』を発売。本体デザインはシンプルでコンパクトであり、片手でテレビの前に持ち出せて気軽にゲームが楽しめた。同社はニンテンドーゲームキューブ開発にあたって、他社のようにゲーム以外の分野での訴求はせず、これまで同様にゲームで遊ぶことのみに焦点を絞った「ゲームを遊ぶための最高のハードウェア」を目指した。
ニンテンドーゲームキューブの開発コードネーム「ドルフィン」は、「ロクヨンの反省」が原点だっという。64ではクリエーター側に高いレベルの要求をし、ソフト不足に陥ったという反省点から、ニンテンドーゲームキューブでは彼らが開発しやすい設計にこだわった。性能の最大値であるスペック値よりも実行性能を重視し、サードパーティの負担を減らすことを第一に考えたという。
ハードウェア内部構造の設計にいたっては、"ドルフィン(いるか)"に由来し、"Gekko(月光)"、"Flipper(尾ひれ)"、"Splash(水しぶき)"の3パーツが基板上に”海でイルカが水しぶきを上げている”ような構成で配置。また松下電器産業(現・パナソニック)と提携し、任天堂のゲーム機としては初の光ディスクを採用。8cmサイズの光ディスクには、松下電器が独自に培った著作権保護技術と不正コピー防止機能が備わっていた。本体前面には、4メガビットフラッシュメモリ「デジカード」スロットが取り付けられ、別売りのSDメモリーカードアダプタを挿せば、SDメモリの使用も可能だ。さらにD端子対応のデジタルビデオケーブルにも接続でき、底面にはブロードバンドアダプタの接続口を搭載。
一方、コントローラーにいたっては、NINTENDO64で目指した「誰でも使えるシンプルさをもち、しかも多様に使えること」に再挑戦。左側にはアナログスティックと十字ボタン、右側にはAボタンを取り囲むように3つのボタンと、その下にCスティックを搭載。側面にはアナログのL・RボタンとZトリガーが設置され、振動機能も標準で備わっている。本体前面にはNINTENDO64同様に4つのコントローラポートが搭載され、ゲームボーイアドバンスをコントローラー替わりにすることも可能。一見、複雑な外観のコントローラだが、基本的にはスティック1本とAボタンを押せば遊べるように設計されている。こうしてスペックが決まったニンテンドーゲームキューブは発表時に宮本茂によって、128人のマリオが動く「マリオ128」のデモが披露され、会場に集まった関係者に驚きを与えたのだった。

32ビット携帯型ゲーム機『ゲームボーイアドバンス』

ゲームボーイアドバンス(2001年)

ゲームボーイアドバンス(2001年)

2001年3月21日、任天堂は携帯ゲーム機においても約12年ぶりに一新した『ゲームボーイアドバンス』を投入し、携帯ゲーム市場を守り立てた。ゲームボーイアドバンスの開発は、ゲームボーイカラー発売後の98年頃に着手したという。初代ゲームボーイの発売から約10年以上が経過し、クリエーターの間でも新しい携帯ゲーム機の登場が待たれていた。ゲームボーイアドバンスは単に最新の技術を使って作りかえるのではなく、ゲームボーイソフトとの完全互換を重視。性能のよいパーツを使いながらも制作コストを抑え、本体価格を1万円以下に設定。
ゲームボーイソフトとゲームボーイアドバンスソフトの判別は、ゲームボーイアドバンスソフトにミゾをつけることで、本体側が構造的に判断。CPUは32ビットを搭載し、L・Rボタン、LED表示(電池が少なくなるとランプの色が変わる)、ワイド機能(ゲームボーイソフトがワイド画面になる)などを搭載。
スクリーンには、3万2000色表示が可能な反射型TFTカラー液晶を採用し、画面サイズをゲームボーイカラーの約1.5倍にまで広げた。従来の縦型だと本体サイズが大きくなるため、デザインを横型に一新。また、スーパーファミコン並のソフト開発が容易にできる「究極の2次元ゲームマシン」を目指し、拡大・縮小・回転機能、画像の重ね合わせ、半透明処理などの表示能力も備えた。さらにこれまで多人数で遊ぶためには人数分のソフトが必要だったが、ゲームボーイアドバンスでは1本のソフトで最大4人同時プレイを実現。ニンテンドーゲームキューブと連動した遊びも可能で、ゲームボーイアドバンスの本体自体をコントローラーとして使うことも可能だ。例えばニンテンドーゲームキューブ用ソフト『ゼルダの伝説 4つの剣+』では、ゲームボーイアドバンスにつなぐと、プレイヤー4人がそれぞれパーソナルなモニターを持って自由に操作することができる。
こうして、本体価格9800円にまで押さえて発売されたゲームボーイアドバンスは、順調に普及。国内では1696万台、海外では8151万台を販売した。一方、SCEも携帯ゲーム機市場に新規参入し、高性能で音楽や映像も楽しめる『PSP(PlayStation Portable)』を発売。ゲームボーイアドバンスに匹敵するほどの台数を販売した。

モバイルシステムGB

モバイルアダプタGBセット(2001年)

モバイルアダプタGBセット(2001年)

2001年1月27日、任天堂はゲームボーイカラーやゲームボーイアドバンスを携帯電話またはPHSとつなぎ、様々な通信サービスが受けられる『モバイルアダプタGB』を発売。月額利用料を払えば、対戦やデータ交換、追加コンテンツやアイテムのダウンロード、メール交換などが可能だった。それに先立ち1999年10月、同社はコナミと共同で「モバイルシステムGB」の対応ソフトを開発するための会社「モバイル21」を設立。その通信サービスを利用するための『モバイルアダプタGB』を、当初5800円で販売したが、2001年7月19日には早くも3800円に引き下げられた。対応ソフトは、ゲームボーイカラーとゲームボーイアドバンス合わせて21本が発売され、翌2002年12月14日にサービスを終了。通信料を抑えるために古い通信方式を採用したことや、それでも通信料などが高かったこと、携帯電話を持っていないゲームボーイユーザーが多かったことなどから、利用数は伸び悩んだという。